木育の種、咲かせた花~第2回 木育どうでしょう - 2023.02.14 Tue
木育の取組の展開方法として「メディアやタレントの有効活用」がある。皆様も経験がないだろうか。企画そのものに興味がなかったとしても、好きなタレントが出ていたら見てしまう。その結果、面白ければ企画も印象に残る。
木育が生まれた当初、木と疎遠になりがちな子どもたちに、どうやって木に触れる機会を増やせるかを課題としていた。子どもが小さいうちから木や森に触れる原体験を増やすためには、その親となる世代に、木育が楽しそうなものだ、子どもと一緒に参加してみたいと思わせるアピールが必要だ。それには、これから結婚して子育てするだろう世代、20~30代に人気のあるタレントを活用し、メディアで木育を楽しく取り上げてもらうのが有効な手段ではないだろうか。
こんなことを、今から十数年前にお酒の入った夜の席で熱弁している若者を、他のメンバーは笑って聞いて、こう言った。「木育どうでしょうだね」
その後、酔いがさめても熱が冷めない一人のメンバーは、某テレビ局あてに分厚いファンレターを送ることとなる。木育という新しい取組を始めること。木育を広くかつ楽しく認知してもらうために、日常で使っている木製品が、森でどのように育って、切り出されて、加工されていくかを、テレビの企画としてタレントに体験してもらうことによって、視聴者に面白く届けられないか。例えば、タレントが料理をふるまいたいだけなのに、木を伐りだして箸や机、椅子、家を作らないと料理が作らせてもらえない、みたいな企画を。こんな手紙と木育のPR冊子を一方的に送り、送っただけで満足していたものと思う。
驚くべきことに、このファンレターに当時の番組プロデューサーから返事が来た。折しも、番組発信のお祭りが開催されようとしていた時期だった。プロデューサーは木球プールが映った冊子を目に留めてくれたようで、「番組のイベントに来てくれる人たちは、番組のことが好きで来てくれるからよいが、子ども連れで参加してくれた場合、子どもが退屈するのはかわいそうだ。託児スペースを作るので木球プールを置かせてもらえないか」という相談だった。当時、どうにか木球プールを貸し出せないかとがんばってみたが、民間企業のイベントにレンタルする体制が整えられず、泣く泣くお断りすることとなった。
今なら、木球プールをはじめ木製遊具をレンタルできる仕組みが選べるようになった。あの頃は実現できなかったけれど、時期と環境が整っていれば、イベントでの木球プール設置は実現できたかもしれないなと思う。
木製遊具をめぐる状況だけではなく、年月が経って、いろんなことが変わった。数十年前に話題にあげていた北海道ゆかりのタレントたちは北海道にとどまらず躍進を続け、今や誰かしら全国ネットに出ている活躍ぶりだ。
タレント事務所の社長改め会長は、北海道赤平市の森林所有者となり、自身の山でツリーハウスを作る企画がテレビ画面を通してお茶の間に届けられることとなった。2019年に開催された「国民参加の森林づくりシンポジウム」では、鈴井貴之氏が登壇し、森づくりをテーマにたっぷり語ってくれた。

2021年に北海道で行われた第44回全国育樹祭では、森崎博之氏がナビゲーターとなり「これからも木育を進めていきましょう!」と叫んでいた。

メディアの有効活用を訴えていた、北海道ゆかりタレントのファンの小さなアイデアの種は確かに花を咲かせたのだ。一通のファンレターが、もしかすると何かや誰かを動かして、年月を経て企画が実現するかもしれない。
今後も、木育がメディアを通して新しい誰かの目に留まり、次世代が木育に関わるきっかけになるよう期待をしていきたい。
◆北海道水産林務部森林計画課 根井三貴
木育が生まれた当初、木と疎遠になりがちな子どもたちに、どうやって木に触れる機会を増やせるかを課題としていた。子どもが小さいうちから木や森に触れる原体験を増やすためには、その親となる世代に、木育が楽しそうなものだ、子どもと一緒に参加してみたいと思わせるアピールが必要だ。それには、これから結婚して子育てするだろう世代、20~30代に人気のあるタレントを活用し、メディアで木育を楽しく取り上げてもらうのが有効な手段ではないだろうか。
こんなことを、今から十数年前にお酒の入った夜の席で熱弁している若者を、他のメンバーは笑って聞いて、こう言った。「木育どうでしょうだね」
その後、酔いがさめても熱が冷めない一人のメンバーは、某テレビ局あてに分厚いファンレターを送ることとなる。木育という新しい取組を始めること。木育を広くかつ楽しく認知してもらうために、日常で使っている木製品が、森でどのように育って、切り出されて、加工されていくかを、テレビの企画としてタレントに体験してもらうことによって、視聴者に面白く届けられないか。例えば、タレントが料理をふるまいたいだけなのに、木を伐りだして箸や机、椅子、家を作らないと料理が作らせてもらえない、みたいな企画を。こんな手紙と木育のPR冊子を一方的に送り、送っただけで満足していたものと思う。
驚くべきことに、このファンレターに当時の番組プロデューサーから返事が来た。折しも、番組発信のお祭りが開催されようとしていた時期だった。プロデューサーは木球プールが映った冊子を目に留めてくれたようで、「番組のイベントに来てくれる人たちは、番組のことが好きで来てくれるからよいが、子ども連れで参加してくれた場合、子どもが退屈するのはかわいそうだ。託児スペースを作るので木球プールを置かせてもらえないか」という相談だった。当時、どうにか木球プールを貸し出せないかとがんばってみたが、民間企業のイベントにレンタルする体制が整えられず、泣く泣くお断りすることとなった。
今なら、木球プールをはじめ木製遊具をレンタルできる仕組みが選べるようになった。あの頃は実現できなかったけれど、時期と環境が整っていれば、イベントでの木球プール設置は実現できたかもしれないなと思う。
木製遊具をめぐる状況だけではなく、年月が経って、いろんなことが変わった。数十年前に話題にあげていた北海道ゆかりのタレントたちは北海道にとどまらず躍進を続け、今や誰かしら全国ネットに出ている活躍ぶりだ。
タレント事務所の社長改め会長は、北海道赤平市の森林所有者となり、自身の山でツリーハウスを作る企画がテレビ画面を通してお茶の間に届けられることとなった。2019年に開催された「国民参加の森林づくりシンポジウム」では、鈴井貴之氏が登壇し、森づくりをテーマにたっぷり語ってくれた。

2021年に北海道で行われた第44回全国育樹祭では、森崎博之氏がナビゲーターとなり「これからも木育を進めていきましょう!」と叫んでいた。

メディアの有効活用を訴えていた、北海道ゆかりタレントのファンの小さなアイデアの種は確かに花を咲かせたのだ。一通のファンレターが、もしかすると何かや誰かを動かして、年月を経て企画が実現するかもしれない。
今後も、木育がメディアを通して新しい誰かの目に留まり、次世代が木育に関わるきっかけになるよう期待をしていきたい。
◆北海道水産林務部森林計画課 根井三貴
木育の種、咲かせた花~プロローグ - 2023.01.15 Sun
木育は、平成16年度に行われた、北海道と民間との協働プロジェクトの中で生まれた言葉だ。当時、食育という言葉が認定されてきたところで、林業振興と教育の観点から、木育という言葉とともに、新しい取組を始めようとしていた。プロジェクト会議の第1回目、初めましてのメンバーが一堂に会し、最初に事務局から説明されたのは、このような趣旨だったと記憶している。
「木育は新しい言葉です。木育が行政だけの取組にならないように、概念も取組も、ここにいる皆さんで、一から作り上げ、成長させていってください。木育という言葉に、皆さんで魂を込めてください。」
このプロジェクトの議論から、今の木育につながる色々な意見が出た。
「木や森を身近に感じられなくなっている子どもたちに、もっと木に触れてもらいたい」
「でも、子ども向けの取組だけで終わらせず、大人も巻き込める全世代を対象とした取組にしていこう!」(子どもをはじめとするすべての人に)
「すでに各地で展開されている多様な活動を、木育の名前のもとに集ってもらい、膨らませていこう」(あれも木育、これも木育)
「受容から能動へ、個から人と人、社会とのつながりへ発展させていこう」(木とふれあい、木に学び、木と生きる)
こんなイメージが共有され、言葉や概念が培われていった。

当時のメンバーは、木育という新しい種から、どんな花が咲いたらいいだろう、どんな実をつけてくれたら面白いだろうという感覚で、様々なアイデアをぶつけ合っていた。
その中には、夢物語として埋もれていったアイデアもたくさんあるけれど、木育が生まれてもうすぐ20年が経とうとする今、アイデアが時間を経て実現したものもある。
このエッセイでは、時間、きっかけ、人とのつながりによって、叶えられた夢、結実した思いをテーマにしていきたいと思う。そして、思いが形になる実体験が、これからの木育の取組への希望になることを願っている。
「木育は新しい言葉です。木育が行政だけの取組にならないように、概念も取組も、ここにいる皆さんで、一から作り上げ、成長させていってください。木育という言葉に、皆さんで魂を込めてください。」
このプロジェクトの議論から、今の木育につながる色々な意見が出た。
「木や森を身近に感じられなくなっている子どもたちに、もっと木に触れてもらいたい」
「でも、子ども向けの取組だけで終わらせず、大人も巻き込める全世代を対象とした取組にしていこう!」(子どもをはじめとするすべての人に)
「すでに各地で展開されている多様な活動を、木育の名前のもとに集ってもらい、膨らませていこう」(あれも木育、これも木育)
「受容から能動へ、個から人と人、社会とのつながりへ発展させていこう」(木とふれあい、木に学び、木と生きる)
こんなイメージが共有され、言葉や概念が培われていった。

当時のメンバーは、木育という新しい種から、どんな花が咲いたらいいだろう、どんな実をつけてくれたら面白いだろうという感覚で、様々なアイデアをぶつけ合っていた。
その中には、夢物語として埋もれていったアイデアもたくさんあるけれど、木育が生まれてもうすぐ20年が経とうとする今、アイデアが時間を経て実現したものもある。
このエッセイでは、時間、きっかけ、人とのつながりによって、叶えられた夢、結実した思いをテーマにしていきたいと思う。そして、思いが形になる実体験が、これからの木育の取組への希望になることを願っている。