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お話の木(その3) 小鳥の木  -  2021.01.19 Tue

冬である。それも今年はとびきりに寒い。冬の老婆カリャッハ・ヴェーラが大地を雪で覆い尽くし、あらゆるものを凍てつかせてしまった。
私たちの住む札幌郊外の家も例外ではなく、すっかり白と灰色の世界に染め上げられている。それでも温かい部屋の中から窓の外を眺める楽しみが全くなくなってしまった訳ではない。住人のポリシーと怠慢のために荒れ放題になっている小さな庭には、今日も小鳥たちが訪れている。
代々近所に住み着いているハシブトガラスや、ふくふくと羽を膨らませた冬仕様の小雀たち。かまびすしく鳴きたてて私の不興をかっている、つがいのヒヨドリ。それから我が家の上客、可憐な姿と鳴き声で楽しませてくれるヤマガラなどが、いつものメンバーだ。ほかにも色々と一見さんの鳥たちが入れ替わりにすがたを見せてくれるのは、僻地の限界集落を自負するわが町ならではと、誇るべきであろう。
勝手気ままに枝を張ったオンコ(北海道ではイチイといわず、こう言う)の木に潜り込んで、気持ちよさそうに雪をはね散らかしている小鳥たちをぼおっと眺めながら、この組み合わせって確かどこかで、と思いめぐらす……。

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イギリスの田舎の古い屋敷の庭園。冬の休暇を過ごすために、亡くなった母の実家に、祖母を頼ってたった一人訪れた主人公の少年が、イチイの木で、クリスマスツリーを仕立てる。飾りは、チーズや果物。たくさんぶら下げられたそれらの食べ物は、小鳥やリスやそのほかの小動物たちへのクリスマスプレゼントだ。
イギリスの著名な童話作家、ルーシー・ボストン夫人の代表作『グリーン・ノウの子どもたち』は、ちょっとした幽霊ばなしや謎解きのスパイスも利いていて、空想好きな子ども(や、おとな)にはこたえられない作品だ。それだけでなく、身近な野生動物と仲良くなれたら、という子どもなら誰でももっているアコガレもかなえてくれる。
主人公の少年は、寒い夜、机の上に常緑樹の枝を置いて窓を開け放つ。夜のあいだ、小鳥たちは風と寒さを避けて子ども部屋でねむる。このエピソードは、どんな不思議な魔法話もかなわないほど、子どもの私をドキドキさせた。

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小鳥と木のつながりで思い出したことがもう一つ。ある年、八雲町の郷土資料館・木彫り熊資料館を見学させて頂いた。あの迫力ある熊の木彫りが、もとを辿ればあの、可愛らしいティディーベア(クマのヌイグルミ)だということにびっくり。展示品のなかには、某有名郷土菓子のパッケージのキャラクタ熊のモデルかも? と思うような、スキー熊もいたりして、あまりメジャーじゃないようなのがもったいない資料館なのだが、それは別の話。
展示品の中に詳細は忘れたが、ヨーロッパの作品で、モチーフにクマではなく、修道僧らしい人と何羽かの小鳥を扱ったものがあった。確か、ひもを引くかなにかすると、地面の小鳥たちがパタパタ羽ばたく仕掛けだったと思う。タイトルが、小鳥と修道士、というようなものだったと記憶しているが、私は直感的に「あっ、これはサン・フランチェスコだ」と思った。
映画『ブラザー・サン、シスター・ムーン』で知られているキリスト教の聖人の中では恐らくサンタクロースを除いてはもっとも親しまれている聖人、裕福な家に生まれながら、文字通り裸になって信仰の世界に飛び込んだと言われている。その有名な逸話が、画家ジョットの手になるといわれているサン・フランチェスコ聖堂のフレスコ画に描かれている『サン・フランチェスコ 小鳥への説教』である。一本の木の根元にひとりの修道士が立っていて、小鳥たちに神様の話をしている。足元には羽をばたつかせた小鳥たちがそれを聞いている、という微笑ましい場面が描かれている。例の八雲町の資料館の木製おもちゃも、立木こそないが、驚くほど構図が似通っているのだ。
私は特定の信仰はないが、小さな生き物にも分け隔てなく心を傾けるやさしさと、小鳥たちの愛らしさで、好きなお話の一つである。

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ある年、私は私たちの山から枝ぶりの良いミズキの赤い枝を切ってきて、正月にまゆだま飾りを作った。由来には諸説あるが、一説にはもとは、外の立木の枝に餅を丸めたものを刺したという。施餓鬼供養といって、悲運にも供養してくれる縁の絶えた霊を、慰める為のものだったと聞いたことがある。乏しいえさに飢えた小鳥たちがやってきて、それをついばむ。
すべてのいのちを、そして生きることのかなしみさえも、包み込む、温かい冬である。

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◆木育マイスター/ようてい木育倶楽部 齊藤 香里

お話の木(その2)木の葉のたより -  2020.11.16 Mon

札幌の街に初雪が舞った。めっきり寒くなって木々は木の葉を落とし、足元には大量の落ち葉が積もった。こうなると私的には要注意だ。地面の形状が分からないうえに濡れていると滑るので、転ぶ危険性が増す。まあ、そうでなくても年中転んでいるので余りかわらないか? お前、ほんとにヤバいよ。夫が意地悪く笑う。
とはいえ、落ち葉の上を歩くのは嫌いではない。まだ、落ち葉が赤や黄色に染まっている時にはふわふわ。(ちなみに「もみじ」の語源は「揉みいず」で、あの色を揉み染めできると考えていた為であろうと、ものの本に書いてあった)乾いて茶色になると踏み心地は、ガサガサ、パリパリとなり、何とも楽しい。

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踏み心地を堪能しているうちにふと、「木の葉のしらせ」という言葉が頭に浮かんだ。
どこで聞いたっけ? しらせ? たより? 
「葉書」が木の葉がもとになっているのはわかる。そういえば郵便局の木は「多羅葉の木」だそうだ。タラヨウ。モチノキ科の常緑樹。葉は肉厚で光沢があり、長楕円形で大きい。葉の裏を引っかくと黒い跡がくっきりと残り、字や絵がかける。古来、手紙やお経を書き付けたそうで、お寺にもゆかりの深い木だそうだ。南の地に旅した折、初めて実物に出会ったが、見せてもらったその葉には、なるほど、くっきりと文字が浮かび上がっていた。しかし、私が引っ掛かっていたのは、もっと昔の記憶、子供の頃のはずだ。葉ももっと身近で、ありふれた……。

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そうだ! 大好きなメアリー・ポピンズのお話の中で出会ったんだ。メアリー・ポピンズはディズニーの実写版映画で有名だが、トラヴァースの原作では、あんな垢抜けた美人ではない。いかにもイギリスの田舎女性らしい赤ら顔のギスギスした感じの、イケずな自惚れ屋だ。それでも彼女はとびきり魅力的で、世界中の子供たちの心をぎゅっとつかんではなさない。
『ハロウィーン』のお話の中で、メアリー・ポピンズに公園に連れて行かれた子供たちは、風に吹き飛ばされて手の中に飛び込んできた、文字の書かれたカエデの木の葉を受け取る。
「木の葉をおとり、しらせの手紙! 」
老婦人が子供のころをなつかしんで言った言葉が、重要なキーワードとなり、素敵なストーリーが展開していく。イギリスは気候や植生が北海道とどこか似通っている。親しみやすい光景は、子供だった私を容易にお話の世界に連れて行ってくれた。同じような落ち葉の季節、強風のなかでメアリー・ポピンズの姿をさがしたことが、幾度あったろう。

公園の落ち葉にまつわる、ささやかなファンタジーを私も一つだけ持っている。ある年の落ち葉の季節のことだ。散歩中、近所の公園を通りかかった時、道路工事をしていた作業服姿の若い工員が公園脇の溝にまたがるようにしゃがみ込んで、一枚のオオバボダイジュの木の葉を拾い上げるのを見た。彼はていねいにしわを伸ばし、手の中で広げると、木の葉をじっと、ずいぶん長いこと見つめていた。まるでその中になにかを読み取ってでもいるかのように。私は彼がふるさとからの手紙を受け取ったのかも知れないと想像してみた。そこにはどんな慕わしい言葉が綴られていただろうか。今でもはっきりと、丸めた背中と穏やかな横顔を思い出すことができる。

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もし、降り落ちる木の葉のすべてに文字が書かれているとしたら。活字中毒の私は夢想する。どんなにか楽しいに違いない。できればそれはお話がいい。一人ひとりの心にある楽しいお話。メアリー・ポピンズが言うように、だれもが自分だけの、おとぎの国をもっているのだから。 
『公園のメアリー・ポピンズ』PⅬトラヴァース



◆木育マイスター/ようてい木育倶楽部 齊藤 香里

お話の木(その1)トネリコの木 -  2020.10.14 Wed

先日、道庁前の庭で樹木を見て廻った時、新しい発見をした。
何度も訪れている場所のはずだったが、たいていいつも、へえ、こんな木あったっけ、と思う。今回はトネリコだった。正面広場からだいぶ離れているせいもあるかもしれない。いや、白状しよう。京極にある私たちの山に生えている木は何とか大体は分かるようになったが、それ以外の木となるとさっぱりなのだ。あの木もこの木も、なんじゃもんじゃの木、というわけ。
それで木について何か書こうというのだから、あきれたものである。

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ところで今回お知り合いになったトネリコの木である。
じつは小学校のころ、お話の中で出会っていた。翻訳ものの怪奇小説で、内容はおぼろげにしか覚えていないが、庭のトネリコの木から大量の虫がぞろぞろ這いだして来るというとても怖い話だった。子供の頃、虫が極端に嫌いだったのは、あれがトラウマになったのではないかという気がする。
トネリコにはそれ以後も本の中で会っている。北欧神話では、聖なるウルズの泉から生えたユグドラシル(世界樹)が世界を形作っていると云われるが、それがトネリコの木だという。そういえば、ハリーポッターにも、トネリコの杖が出てきたっけ。正しくはこれらはみんな、セイヨウトネリコという種類らしい。しかしどちらもキンモクセイ科というから、見た目は似ているに違いないと勝手に思う。

樹皮は暗灰色、葉は羽状複葉で対生。春には白いふんわりとした花を付け、実は翼果。和名のトネリコの由来は、『戸に塗る木』という説もある。木に付くイボタロウムシ(やっぱり虫か!)から採った蝋物質を、敷居に塗って滑りを良くしたんだとか。昔は、稲のはさがけにも使われていたそうだ。里には身近な木といえるだろう。

道庁の庭で、少し緊張してかの木を見上げる。かなり立派な大木に育っている。
今のところワラワラと虫が出てくる気配はない。世界をすっぽりと覆い尽くしてしまう心配もなさそうだ。
まあ、宜しく頼むよと、何だか訳の分からない言葉を心の中でかけて、トネリコの木に背を向けた。



◆木育マイスター/ようてい木育倶楽部 齊藤 香里

協働という意味を考えてみる(1/2回) -  2019.10.14 Mon

木育ファミリーが設立されて以降、木育の普及などを目的にこれまで多くの活動を行ってきましたが、ここ数年の活動等で気が付いたことをまとめてみました。

1「道民森づくりの集い」
まずはこのイベントのことについて触れておきたいです。
木育ファミリーは道庁赤レンガ前で開催している時から参加していますが、野幌森林公園に場所を移し今年で「道民森づくりの集い」も5年目を迎えました。以前は「道民森づくりネットワークの集い」という名称でしたが、ネットワークという言葉が外され、森づくりに関わる団体だけでなく多様な団体などが出展するようになりました。しかし、一方では、民間の森づくり団体の出展が大きく減り、この集いの意味合いは大きく変化してきていると思います。
現状、森づくりに関わる団体は高齢化を迎え、解散を余儀なくされるケースもありますが、決して森づくりを行う民間の団体が使命を終えたわけではありません。
この集いを通じて伝えることは一体何か。それは単に参加者に楽しんでもらうだけでなく、出展側の交流、そして森と関わりの重要性を一般の参加者に伝えることではないでしょうか。まるで祭りの屋台のような出展ではなく、今一度、「集い」の目的を明確かつ共有しながら、森づくりに関わる団体の参加も促すことが必要であると感じています。

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2 両者の思いのズレ
行政が進める森づくりは、基本計画や施策などに基づき行われますが、現在は木材産業、言わば木材を使うことに重きが置かれています。しかしながら、木を伐って木材を生産することに重きをおくと、伐採後は木を植える作業を行わなければならないのですが、2017年度末における北海道の造林未済地は8000haにまで及び再造林作業が進んでいません。(毎日新聞2019年9月15日の記事参考)
林業は森林の樹木を伐採し木材を生産することと定義されていますが、必ずしもそれがすべて森林に対する取り扱いではないはず。今は林業の担い手づくりが重要視される時代となり、行政側はその方向へ向かっています。
でもその一方、一般の方でも森づくりに関わっていきたいと思う人は少なくありません。林業とは違う形で森と関わる人は、単純な理由で「森が好きだから」という人もいれば、作業をしながら体をリフレッシュできる「癒しの場」として考えている人もいるでしょう。

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その想いを受け、好きなように森と関わりを持てるよう行政等が後押ししてくれればよいのですが、実際に資金面での協力においては、制度という枠組みを設けて自由にはやることは出来ないですし、フィールドの提供や人材の協力においても消極的と言わざるおえない状況です。
両者が目指す森の姿が例え同じとしても、現状での思いに対するズレが生じています。行政の森づくりは「こちら側」だけでやるだけでなく、「あちら側」の思いも叶えるようにしなければ、見せかけだけの国民一体となった森づくりに終わってしまいそうです。でも、行政の立場からすると、今はそんな時代ではないと言われそうですが。

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林業だけでなく、木育においても行政側とこちら側との思いのズレを最近感じています。次回はそのことについて考えてみたいです。



◆ようてい木育倶楽部 齊藤 文美

冬のコートを脱ぎ捨てて(2/2回) -  2019.06.20 Thu

前回の続きです。

【エゾヤマザクラ】
花ばかりが持てはやされ、花が散ってしまったら見向きもしてくれないエゾヤマザクラ。春の葉っぱはきれいなんだけどね。

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淡い緑色が森の中を覆う。オオバボダイジュやアズキナシはその代表かな。
芽鱗の色とのコントラストが好きです。

【オオバボダイジュ】
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【アズキナシ】
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【コシアブラ】
秋にはクリーム色の葉になるコシアブラの開葉は秋のイメージとは異なり、産毛が生えているようにふわふわした柄と葉っぱ、そして冬芽にこんなに蓄えられていたかというぐらい多くの葉っぱが飛び出してくる。
それはハリギリも同じですね。コシアブラを見かけたら、思わず「天ぷら!」と叫んでしまいますが、あくまでも観察ということで、我慢我慢。

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そして、新緑の時にしか味わえない光と樹木の演出に心躍らされます。
【イタヤカエデ】の舞い
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【アオダモ】赤い縁取りが印象的
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【オオカメノキ】シウリザクラを背景に
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まだまだ、紹介しきれないぐらい樹木のお目覚めはありますが、私が春を一番感じられるのは何といっても森の中。樹木の目覚めをダイナミズムと呼ぶに相応しいかは皆さんの捉え方にもよりますが、樹木という生命が躍動感たっぷりで演出してくれる森に正解も答えも必要なく、ありのままで感じられる春がそこにあります。
今年は逃してしまった方も来年は春の森の中に入って、樹木のダイナミズムを感じてください。

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◆ようてい木育倶楽部 齊藤 文美 

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