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お話の木(その5) それは何の木? -  2021.05.16 Sun

ある時、園芸用品のカタログをみていたら、『ジャックと豆の木』というのを見つけた。
ジャックと豆の木といえば、ディズニーアニメだろう。空を突いて伸びる豆の木をミッキーがぐいぐい登っていくあの高揚感がたまらない。
しかし実際、そんなことは可能だろうか。いつもお世話になっているもぎ取り農園で馴染みの豆は、農園のおばさんが立てたがっしりしたポールに支えられてフラフラと伸びている。到底登ってみる気にはならない。あたりまえか。
くだんの豆の木とはどんなものかというと、オーストラリアにあるらしい。熱帯植物、常緑樹でオレンジ色の花の後に莢菓をつけ、中にはゴルフボール大の実が5つほど成る。15メートルくらいに育つというから、雲の上は無理としても、木登りするには充分だろう。クラックビーンというそうだ。

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私が子供で、ウオルトディズニーが今とはちょっと違った映画を作っていた頃、私はディズニーアニメのトリコだった。『ファンタジア』も素晴らしい。美しい楽曲にのせて様々な場面が進行していく。

エドワードエルガーの『威風堂々』にのせて展開されるのは、聖書物語ノアの方舟だ。降りしきる雨の中、荒波に翻弄されながらも聖人ノアと動物たちを乗せた船は力強く進んでいく。
ところで、そう古くもない話、今から十数年ほど前、トルコのアララト山で方舟らしい遺跡が見つかったという報告がなされた。標高5137mの成層火山で、積雪と堆積物に埋もれていた木製の建造物は、幾つかの部屋をもつ構造。材質は糸杉で瀝青といわれる天然のアスファルトで防水されていたそうだ。もっとも、方舟の遺跡発見噺は「方舟を探しに行って手ぶらで帰ってきたものはいない」と揶揄されるように眉に唾して聞くほうが良いかも知れないが。
ノアの方舟にもう一つ登場する有名な木は、洪水が引いてノアが方舟から放ったハトが咥えてきたオリーブの枝。だからオリーブの木言葉は『希望』。ヨーロッパには、「オリーブの木には精霊が宿る」という諺がある。灰色がかった緑色の肉厚の細長い葉を持ち、実に美しい木だ。オリンピックで勝者が戴く月桂冠は実はこの木の枝で編まれるのだそうだ。

木や木で作られたものが重要なファクターになっているお話は至る所で見つけられる。
ピノキオは言葉を話す木で作られた人形だし、ナルニア国物語でルーシーがナルニアにトリップするのは、古い木の衣裳箪笥からだった。日本の昔話にも猿蟹合戦や花咲じじいなど枚挙にいとまがない。人と木とはそうやって互いに近しく心を通じあい、命の物語を紡いでいくのだろう。昔も今も。



◆木育マイスター/ようてい木育倶楽部 齊藤 香里

アンリー・ルソーの夢とサスティナブルな森 -  2021.04.14 Wed

今回のエッセイは、一般財団法人 北海道建築指導センターの季刊誌「センターレポート」に連載している私のコラム「アートな視点」からです。毎回、一点のアート作品と今日的話題を結び付けて書いています。2016年秋号のテーマは「夢みる」、建築関係の人に木育のことを広く知って欲しくて紹介しました。
・センターレボートURL https://www.hokkaido-ksc.or.jp/index.php?id=98

ルソー「夢」s
アンリー・ルソー「夢」1910年 ニューヨーク近代美術館

満月の薄明かりの下で、女は裸で横たわり、ハスの花の咲く青々としたジャングルの動物たちをじっと見つめている。アンリー・ルソー最晩年の傑作「夢」である。森と木についてアートな視点から眺めたくなりこの一枚を選んでみた。彼の作品には熱帯の密林を舞台にしたものが多いが、じつは南国など一度も訪れたことはなく、想像力で描いたもの。その森は幻想的で見るたびに新鮮だ。50歳代で画家となったルソーは、パリの画壇では税関吏あがりの日曜画家と相手にされなかった。この不思議な絵は、原田マハの小説「楽園のカンヴァス」の中でさらに謎めいた奥行きが与えられている。

森とアートの関係を考えるきっかけは、今夏、札幌芸術の森30周年記念「フランスの風景 樹をめぐる物語」を見たからだ。その案内に、「樹木はいつの時代も人に寄り添い、その場で動かずに四季の移ろいを伝え、時の流れを共に見続ける人間の伴侶だった」と書かれていた。バルビゾン派から新印象派まで、画家たちが描いた樹木を通して、美しい森を訪ねたような展覧会であった。森がいかに多くの名画を生んできたかを実感した。でもルソーのように超現実的な森を描く画家は見られなかった。
太古より人間は森に住み、森の恵みを糧に暮らしていた。のちに森を離れて文明を築くようになってからも、人間は森という故郷に「楽園」の思い出を重ね、ノスタルジアを抱きつづけてきた。言うまでもなく森や木は人間の生存にとって、欠くことのできない存在である。縄文文明を1万年以上も支え続けたのも森の恵みであった。

「木育」という北海道発の活動がある。「木とふれあい、木に学び、木と生きる」という理念で、森や木と共生する取り組みである。十年ほど前に始まったこの「木育」活動は、林野庁をはじめ今や全国で展開されつつある。木育は、五感とひびきあう感性、共感できる心、地域の個性を生かした木の文化、人と自然が共存できる社会を目指す。そして木育は「心の森づくり」だという。
森林破壊や地球温暖化など環境問題は、科学的なアプローチや研究が必要だ。が、未来への持続可能な夢がなければ、それを実現する社会は生まれないだろう。昔は人の心の糧として森の妖精や魔物や寓話があり、それが森への夢や畏敬の念につながっていた。自然を科学する前に、森の力と豊かさを五感で感じ、一本の木を大切に守るために、人が自然の一部として何ができるか考えたい。
「森と生きる夢をみよう、想像力豊かで持続可能な森の夢をみよう」。
ルソー作「夢」は、そんな夢の描き方を教えてくれる一枚だ。



◆建築家 下村 憲一

お話の木(その4) お話の中の固有種/後編 -  2021.03.18 Thu

前回の続きである。前編で取り上げたアストリッド・リンドグレーンの作品は、豊かな自然の中でたっぷり遊んだ作者自身の子供時代の思い出がふんだんにちりばめられている。細やかな感性もまた、そういった自然の描写を美しいものにしている。
しかし今回の主役は同じイギリスの童話作家(?)でも全く毛色が違う。少し前アカデミー賞を総なめにした、映画『ロード・オブ・ザ・リング』の原作で、邦題『指輪物語』は、オックスフォード大学の比較言語学者J.R.R.トールキンによって書かれた長大なファンタジーである。学者がお話しを書くとどうなるか、想像して欲しい。登場人物は個性豊かで文章にはユーモアもあり、作品自体は間違いなく面白い。ただ、世界観の作りこみが半端ないのだ。著者は生前、イギリスには古代神話がない、だからそれを作りたくてこの作品を書いた、というようなことを言っていた。何のことはない、先生は一つの星をその創生から衰退まで丸々全部作っちゃったのである。それは昨今流行りのロープレの世界なんか足元にも及ばない徹底ぶりで、人種それぞれの(と言って良いか、何せ小人やモンスター、エルフなんかも含まれていて、一筋縄ではいかない)始まりから歴史、逸話、驚くことにそれぞれに固有の言語まで作ってしまった。本職が言語学者だからということもあるだろう。反対に服飾に関しては余り言及がないのも、興味の範囲を示しているようで面白い。

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ともあれ、木の話である。動植物は嫌いではなかったらしく、作りこみの範囲は樹木にも及んでいる。実際には存在しない木、つまりこの物語限定の固有種だ。例えばラルペリオン(銀色 雄木)ラウレン(金色 雌木)という木は月と太陽になったとされる。(女が太陽で男が月だ) 常緑樹のオイオライレは香りの良い木で、船出の際に航行の無事を祈って枝を舳先に飾る習慣がある。船の用材に用いられるのはラウリンケ。美しい房状の黄色い花を付ける木。
『指輪物語』の中で最も有名なのはマルローン樹といわれる木だろう。金の木の意味をもち、森のエルフの住む要塞都市に群生している。美しくて神秘的な木なのだが、この樹木の作りこみがまた凄い。
中心の幹からそれぞれの枝が真っ直ぐに伸び、樹冠部分で反りあがって王冠の形を作る。
幹は灰色ですべすべしており、春には黄色い花が咲く。秋になると葉は金色に紅葉し、落葉は春。銀色の堅殻に覆われた小さい種子をつける。
どうです、あとは葉っぱのサンプルと図鑑用の写真がないのが不思議なくらいでしょう。
こうなると、実物を目にしたり触れたり出来ないのが理不尽なことのようにさえ思えてくる。

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トールキン教授の木々や動植物といった、自然への想いはどのようなものだったか。
「木のひげ」という名のエント(木の牧人、人のように動いたり話したりする木の種族)を通して彼が語った言葉を作中から引用してみよう。

「世の中は変わりつつありますからなあ。わしは水の中にそれを感じますのじゃ。土の中に感じますのじゃ。空気の中に感じますのじゃ。またふたたびお目にかかることがあろうとは思えませぬわい。」
『指輪物語』王の帰還  J.R.R.トールキン

著者の、環境の変化を自然の側から感じ取ろうとする姿勢がうかがわれる。田園地帯の工業化を嫌い、自転車に乗るのを好んだというトールキン。彼の生きた時代のイギリスにも近代化の波が押し寄せていた。そう思って読む物語は、胸躍る冒険の裏側に、失われゆく自然への愛惜を秘めて響く。



◆木育マイスター/ようてい木育倶楽部 齊藤 香里

お話の木(その4) お話の中の固有種/前編 -  2021.02.17 Wed

まだまだ冬である。とくに今年の冬は寒い。外に出て行くのも億劫なので、私の森の探索も、もっぱら本の中にとどまっている。それなら凍るような風雪に晒されることもないし、転んで頭を打って脳外科に駆け込むような災難に見舞われることもない。ぬくぬくとカウチポテトを決め込んで翠滴る森を散策する。これぞ、ステイ・アット・ホームの極意である。今日もいそいそと冬山に散歩に出かけて行った、夫は絶対に賛成してくれそうにないが。

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ファンタジーの中には森や林が出てくるお話が多い。小人のお家は木のうろが定番だし、主人公の子どもは馬に乗って、あるいは徒歩で、うっそうと茂る暗い森に突っ込んでいく。夜になると焚火をして怖いモンスターにおそわれる。そういう場面にさしかかると、ああ、いやだな、恐いな、と思いながらもわくわくする。
ところが最近そういうお話を読み返しながらふと、邪念が差すようになってしまった。暗い森って樹種は何よ? シュヴァルツヴァルトかしら? それならトウヒ? それとも年代物のオークかナラの木もあり得るか。 挿絵に木が書かれていると、何の木だろうと樹木図鑑をめくってみたりしてしまう。でもその辺は著者も、挿絵画家もあまりこだわっていないのか、それとも私の知識の乏しさが災いするのか、なかなか満足できる答えが得られないことも多い。昔、部活の先輩に、あんたはそういう細かいことにこだわり過ぎる、おとぎ話なんだから現実にないものが出てきて当然じゃないかと言われたっけ。それはそうなんだけど…。

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嬉しい事に、その辺の作りこみが結構細かい作家も居たりする。アストリッド・リンドグレーンはスウェーデンの著名な児童文学作家だが、出てくる木はわりとしっかりしている。大好きな作品『ミオよ わたしのミオ』を読むとボダイジュやリンゴの木など、名前がしっかり書かれている。それに子どもが枝を切って笛を作るのがヤナギの木だったりする。木の性質を知っているからこそのナイスチョイスではないか。
このお話の中でいちばん美しい木の描写を引用してみよう。

― まるで、ガラスでできた千もの鐘がいっせいに鳴るような音でした。その音はかすかだけれども、とても力づよくて、それをきくと、むねがふるえだすほどでした。
「わたしの銀ポプラの音がきこえるかね?」おとうさんの王さまがいいました。―
アストリッド・リンドグレーン『ミオよ わたしのミオ』
 
原書にあるシルバーポプラとは、ギンドロあるいはウラジロハコヤナギといわれるヤナギ科の木の別称であろうと思われる。実物は葉裏に白い綿毛が密生していて銀白色に見えるとはいえ、大人になってから出会ったそれは、私が考えていた木とはちょっと違っていた。子どもだった私の中には、もっときらきらしい、不思議な美しさをたたえた木のイメージがあったからだ。そして大人の私は、勝手にこう考えることにした。銀ポプラは確かにギンドロに似た木なのだろう。でも、リンドグレーンはギンドロとは書いていない。だから、このお話の木はこの物語だけに存在する固有種にちがいないと。
かくして、不恩にも先輩に異を唱えたこの口が、前言をひるがえして保身に走った。
それは、ガラスのように透明な耀きを放ちながら、風にひるがえり、震え、小さな鐘を鳴らしてやさしく力づよい歌を奏でる、あの木を守るためである。

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ところで、本題に入ろう。お話の中の固有種の木の話だ。それは…。いやいやもうすっかり文字数がオーバーしてしまった。この話は、次の機会にすることにしよう。もし、親切にも聞いてやろうという奇特な方がいらっしゃるなら。



◆木育マイスター/ようてい木育倶楽部 齊藤 香里

お話の木(その3) 小鳥の木  -  2021.01.19 Tue

冬である。それも今年はとびきりに寒い。冬の老婆カリャッハ・ヴェーラが大地を雪で覆い尽くし、あらゆるものを凍てつかせてしまった。
私たちの住む札幌郊外の家も例外ではなく、すっかり白と灰色の世界に染め上げられている。それでも温かい部屋の中から窓の外を眺める楽しみが全くなくなってしまった訳ではない。住人のポリシーと怠慢のために荒れ放題になっている小さな庭には、今日も小鳥たちが訪れている。
代々近所に住み着いているハシブトガラスや、ふくふくと羽を膨らませた冬仕様の小雀たち。かまびすしく鳴きたてて私の不興をかっている、つがいのヒヨドリ。それから我が家の上客、可憐な姿と鳴き声で楽しませてくれるヤマガラなどが、いつものメンバーだ。ほかにも色々と一見さんの鳥たちが入れ替わりにすがたを見せてくれるのは、僻地の限界集落を自負するわが町ならではと、誇るべきであろう。
勝手気ままに枝を張ったオンコ(北海道ではイチイといわず、こう言う)の木に潜り込んで、気持ちよさそうに雪をはね散らかしている小鳥たちをぼおっと眺めながら、この組み合わせって確かどこかで、と思いめぐらす……。

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イギリスの田舎の古い屋敷の庭園。冬の休暇を過ごすために、亡くなった母の実家に、祖母を頼ってたった一人訪れた主人公の少年が、イチイの木で、クリスマスツリーを仕立てる。飾りは、チーズや果物。たくさんぶら下げられたそれらの食べ物は、小鳥やリスやそのほかの小動物たちへのクリスマスプレゼントだ。
イギリスの著名な童話作家、ルーシー・ボストン夫人の代表作『グリーン・ノウの子どもたち』は、ちょっとした幽霊ばなしや謎解きのスパイスも利いていて、空想好きな子ども(や、おとな)にはこたえられない作品だ。それだけでなく、身近な野生動物と仲良くなれたら、という子どもなら誰でももっているアコガレもかなえてくれる。
主人公の少年は、寒い夜、机の上に常緑樹の枝を置いて窓を開け放つ。夜のあいだ、小鳥たちは風と寒さを避けて子ども部屋でねむる。このエピソードは、どんな不思議な魔法話もかなわないほど、子どもの私をドキドキさせた。

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小鳥と木のつながりで思い出したことがもう一つ。ある年、八雲町の郷土資料館・木彫り熊資料館を見学させて頂いた。あの迫力ある熊の木彫りが、もとを辿ればあの、可愛らしいティディーベア(クマのヌイグルミ)だということにびっくり。展示品のなかには、某有名郷土菓子のパッケージのキャラクタ熊のモデルかも? と思うような、スキー熊もいたりして、あまりメジャーじゃないようなのがもったいない資料館なのだが、それは別の話。
展示品の中に詳細は忘れたが、ヨーロッパの作品で、モチーフにクマではなく、修道僧らしい人と何羽かの小鳥を扱ったものがあった。確か、ひもを引くかなにかすると、地面の小鳥たちがパタパタ羽ばたく仕掛けだったと思う。タイトルが、小鳥と修道士、というようなものだったと記憶しているが、私は直感的に「あっ、これはサン・フランチェスコだ」と思った。
映画『ブラザー・サン、シスター・ムーン』で知られているキリスト教の聖人の中では恐らくサンタクロースを除いてはもっとも親しまれている聖人、裕福な家に生まれながら、文字通り裸になって信仰の世界に飛び込んだと言われている。その有名な逸話が、画家ジョットの手になるといわれているサン・フランチェスコ聖堂のフレスコ画に描かれている『サン・フランチェスコ 小鳥への説教』である。一本の木の根元にひとりの修道士が立っていて、小鳥たちに神様の話をしている。足元には羽をばたつかせた小鳥たちがそれを聞いている、という微笑ましい場面が描かれている。例の八雲町の資料館の木製おもちゃも、立木こそないが、驚くほど構図が似通っているのだ。
私は特定の信仰はないが、小さな生き物にも分け隔てなく心を傾けるやさしさと、小鳥たちの愛らしさで、好きなお話の一つである。

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ある年、私は私たちの山から枝ぶりの良いミズキの赤い枝を切ってきて、正月にまゆだま飾りを作った。由来には諸説あるが、一説にはもとは、外の立木の枝に餅を丸めたものを刺したという。施餓鬼供養といって、悲運にも供養してくれる縁の絶えた霊を、慰める為のものだったと聞いたことがある。乏しいえさに飢えた小鳥たちがやってきて、それをついばむ。
すべてのいのちを、そして生きることのかなしみさえも、包み込む、温かい冬である。

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◆木育マイスター/ようてい木育倶楽部 齊藤 香里

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