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お話の木(その4) お話の中の固有種/後編 -  2021.03.18 Thu

前回の続きである。前編で取り上げたアストリッド・リンドグレーンの作品は、豊かな自然の中でたっぷり遊んだ作者自身の子供時代の思い出がふんだんにちりばめられている。細やかな感性もまた、そういった自然の描写を美しいものにしている。
しかし今回の主役は同じイギリスの童話作家(?)でも全く毛色が違う。少し前アカデミー賞を総なめにした、映画『ロード・オブ・ザ・リング』の原作で、邦題『指輪物語』は、オックスフォード大学の比較言語学者J.R.R.トールキンによって書かれた長大なファンタジーである。学者がお話しを書くとどうなるか、想像して欲しい。登場人物は個性豊かで文章にはユーモアもあり、作品自体は間違いなく面白い。ただ、世界観の作りこみが半端ないのだ。著者は生前、イギリスには古代神話がない、だからそれを作りたくてこの作品を書いた、というようなことを言っていた。何のことはない、先生は一つの星をその創生から衰退まで丸々全部作っちゃったのである。それは昨今流行りのロープレの世界なんか足元にも及ばない徹底ぶりで、人種それぞれの(と言って良いか、何せ小人やモンスター、エルフなんかも含まれていて、一筋縄ではいかない)始まりから歴史、逸話、驚くことにそれぞれに固有の言語まで作ってしまった。本職が言語学者だからということもあるだろう。反対に服飾に関しては余り言及がないのも、興味の範囲を示しているようで面白い。

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ともあれ、木の話である。動植物は嫌いではなかったらしく、作りこみの範囲は樹木にも及んでいる。実際には存在しない木、つまりこの物語限定の固有種だ。例えばラルペリオン(銀色 雄木)ラウレン(金色 雌木)という木は月と太陽になったとされる。(女が太陽で男が月だ) 常緑樹のオイオライレは香りの良い木で、船出の際に航行の無事を祈って枝を舳先に飾る習慣がある。船の用材に用いられるのはラウリンケ。美しい房状の黄色い花を付ける木。
『指輪物語』の中で最も有名なのはマルローン樹といわれる木だろう。金の木の意味をもち、森のエルフの住む要塞都市に群生している。美しくて神秘的な木なのだが、この樹木の作りこみがまた凄い。
中心の幹からそれぞれの枝が真っ直ぐに伸び、樹冠部分で反りあがって王冠の形を作る。
幹は灰色ですべすべしており、春には黄色い花が咲く。秋になると葉は金色に紅葉し、落葉は春。銀色の堅殻に覆われた小さい種子をつける。
どうです、あとは葉っぱのサンプルと図鑑用の写真がないのが不思議なくらいでしょう。
こうなると、実物を目にしたり触れたり出来ないのが理不尽なことのようにさえ思えてくる。

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トールキン教授の木々や動植物といった、自然への想いはどのようなものだったか。
「木のひげ」という名のエント(木の牧人、人のように動いたり話したりする木の種族)を通して彼が語った言葉を作中から引用してみよう。

「世の中は変わりつつありますからなあ。わしは水の中にそれを感じますのじゃ。土の中に感じますのじゃ。空気の中に感じますのじゃ。またふたたびお目にかかることがあろうとは思えませぬわい。」
『指輪物語』王の帰還  J.R.R.トールキン

著者の、環境の変化を自然の側から感じ取ろうとする姿勢がうかがわれる。田園地帯の工業化を嫌い、自転車に乗るのを好んだというトールキン。彼の生きた時代のイギリスにも近代化の波が押し寄せていた。そう思って読む物語は、胸躍る冒険の裏側に、失われゆく自然への愛惜を秘めて響く。



◆木育マイスター/ようてい木育倶楽部 齊藤 香里

お話の木(その4) お話の中の固有種/前編 -  2021.02.17 Wed

まだまだ冬である。とくに今年の冬は寒い。外に出て行くのも億劫なので、私の森の探索も、もっぱら本の中にとどまっている。それなら凍るような風雪に晒されることもないし、転んで頭を打って脳外科に駆け込むような災難に見舞われることもない。ぬくぬくとカウチポテトを決め込んで翠滴る森を散策する。これぞ、ステイ・アット・ホームの極意である。今日もいそいそと冬山に散歩に出かけて行った、夫は絶対に賛成してくれそうにないが。

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ファンタジーの中には森や林が出てくるお話が多い。小人のお家は木のうろが定番だし、主人公の子どもは馬に乗って、あるいは徒歩で、うっそうと茂る暗い森に突っ込んでいく。夜になると焚火をして怖いモンスターにおそわれる。そういう場面にさしかかると、ああ、いやだな、恐いな、と思いながらもわくわくする。
ところが最近そういうお話を読み返しながらふと、邪念が差すようになってしまった。暗い森って樹種は何よ? シュヴァルツヴァルトかしら? それならトウヒ? それとも年代物のオークかナラの木もあり得るか。 挿絵に木が書かれていると、何の木だろうと樹木図鑑をめくってみたりしてしまう。でもその辺は著者も、挿絵画家もあまりこだわっていないのか、それとも私の知識の乏しさが災いするのか、なかなか満足できる答えが得られないことも多い。昔、部活の先輩に、あんたはそういう細かいことにこだわり過ぎる、おとぎ話なんだから現実にないものが出てきて当然じゃないかと言われたっけ。それはそうなんだけど…。

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嬉しい事に、その辺の作りこみが結構細かい作家も居たりする。アストリッド・リンドグレーンはスウェーデンの著名な児童文学作家だが、出てくる木はわりとしっかりしている。大好きな作品『ミオよ わたしのミオ』を読むとボダイジュやリンゴの木など、名前がしっかり書かれている。それに子どもが枝を切って笛を作るのがヤナギの木だったりする。木の性質を知っているからこそのナイスチョイスではないか。
このお話の中でいちばん美しい木の描写を引用してみよう。

― まるで、ガラスでできた千もの鐘がいっせいに鳴るような音でした。その音はかすかだけれども、とても力づよくて、それをきくと、むねがふるえだすほどでした。
「わたしの銀ポプラの音がきこえるかね?」おとうさんの王さまがいいました。―
アストリッド・リンドグレーン『ミオよ わたしのミオ』
 
原書にあるシルバーポプラとは、ギンドロあるいはウラジロハコヤナギといわれるヤナギ科の木の別称であろうと思われる。実物は葉裏に白い綿毛が密生していて銀白色に見えるとはいえ、大人になってから出会ったそれは、私が考えていた木とはちょっと違っていた。子どもだった私の中には、もっときらきらしい、不思議な美しさをたたえた木のイメージがあったからだ。そして大人の私は、勝手にこう考えることにした。銀ポプラは確かにギンドロに似た木なのだろう。でも、リンドグレーンはギンドロとは書いていない。だから、このお話の木はこの物語だけに存在する固有種にちがいないと。
かくして、不恩にも先輩に異を唱えたこの口が、前言をひるがえして保身に走った。
それは、ガラスのように透明な耀きを放ちながら、風にひるがえり、震え、小さな鐘を鳴らしてやさしく力づよい歌を奏でる、あの木を守るためである。

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ところで、本題に入ろう。お話の中の固有種の木の話だ。それは…。いやいやもうすっかり文字数がオーバーしてしまった。この話は、次の機会にすることにしよう。もし、親切にも聞いてやろうという奇特な方がいらっしゃるなら。



◆木育マイスター/ようてい木育倶楽部 齊藤 香里

お話の木(その3) 小鳥の木  -  2021.01.19 Tue

冬である。それも今年はとびきりに寒い。冬の老婆カリャッハ・ヴェーラが大地を雪で覆い尽くし、あらゆるものを凍てつかせてしまった。
私たちの住む札幌郊外の家も例外ではなく、すっかり白と灰色の世界に染め上げられている。それでも温かい部屋の中から窓の外を眺める楽しみが全くなくなってしまった訳ではない。住人のポリシーと怠慢のために荒れ放題になっている小さな庭には、今日も小鳥たちが訪れている。
代々近所に住み着いているハシブトガラスや、ふくふくと羽を膨らませた冬仕様の小雀たち。かまびすしく鳴きたてて私の不興をかっている、つがいのヒヨドリ。それから我が家の上客、可憐な姿と鳴き声で楽しませてくれるヤマガラなどが、いつものメンバーだ。ほかにも色々と一見さんの鳥たちが入れ替わりにすがたを見せてくれるのは、僻地の限界集落を自負するわが町ならではと、誇るべきであろう。
勝手気ままに枝を張ったオンコ(北海道ではイチイといわず、こう言う)の木に潜り込んで、気持ちよさそうに雪をはね散らかしている小鳥たちをぼおっと眺めながら、この組み合わせって確かどこかで、と思いめぐらす……。

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イギリスの田舎の古い屋敷の庭園。冬の休暇を過ごすために、亡くなった母の実家に、祖母を頼ってたった一人訪れた主人公の少年が、イチイの木で、クリスマスツリーを仕立てる。飾りは、チーズや果物。たくさんぶら下げられたそれらの食べ物は、小鳥やリスやそのほかの小動物たちへのクリスマスプレゼントだ。
イギリスの著名な童話作家、ルーシー・ボストン夫人の代表作『グリーン・ノウの子どもたち』は、ちょっとした幽霊ばなしや謎解きのスパイスも利いていて、空想好きな子ども(や、おとな)にはこたえられない作品だ。それだけでなく、身近な野生動物と仲良くなれたら、という子どもなら誰でももっているアコガレもかなえてくれる。
主人公の少年は、寒い夜、机の上に常緑樹の枝を置いて窓を開け放つ。夜のあいだ、小鳥たちは風と寒さを避けて子ども部屋でねむる。このエピソードは、どんな不思議な魔法話もかなわないほど、子どもの私をドキドキさせた。

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小鳥と木のつながりで思い出したことがもう一つ。ある年、八雲町の郷土資料館・木彫り熊資料館を見学させて頂いた。あの迫力ある熊の木彫りが、もとを辿ればあの、可愛らしいティディーベア(クマのヌイグルミ)だということにびっくり。展示品のなかには、某有名郷土菓子のパッケージのキャラクタ熊のモデルかも? と思うような、スキー熊もいたりして、あまりメジャーじゃないようなのがもったいない資料館なのだが、それは別の話。
展示品の中に詳細は忘れたが、ヨーロッパの作品で、モチーフにクマではなく、修道僧らしい人と何羽かの小鳥を扱ったものがあった。確か、ひもを引くかなにかすると、地面の小鳥たちがパタパタ羽ばたく仕掛けだったと思う。タイトルが、小鳥と修道士、というようなものだったと記憶しているが、私は直感的に「あっ、これはサン・フランチェスコだ」と思った。
映画『ブラザー・サン、シスター・ムーン』で知られているキリスト教の聖人の中では恐らくサンタクロースを除いてはもっとも親しまれている聖人、裕福な家に生まれながら、文字通り裸になって信仰の世界に飛び込んだと言われている。その有名な逸話が、画家ジョットの手になるといわれているサン・フランチェスコ聖堂のフレスコ画に描かれている『サン・フランチェスコ 小鳥への説教』である。一本の木の根元にひとりの修道士が立っていて、小鳥たちに神様の話をしている。足元には羽をばたつかせた小鳥たちがそれを聞いている、という微笑ましい場面が描かれている。例の八雲町の資料館の木製おもちゃも、立木こそないが、驚くほど構図が似通っているのだ。
私は特定の信仰はないが、小さな生き物にも分け隔てなく心を傾けるやさしさと、小鳥たちの愛らしさで、好きなお話の一つである。

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ある年、私は私たちの山から枝ぶりの良いミズキの赤い枝を切ってきて、正月にまゆだま飾りを作った。由来には諸説あるが、一説にはもとは、外の立木の枝に餅を丸めたものを刺したという。施餓鬼供養といって、悲運にも供養してくれる縁の絶えた霊を、慰める為のものだったと聞いたことがある。乏しいえさに飢えた小鳥たちがやってきて、それをついばむ。
すべてのいのちを、そして生きることのかなしみさえも、包み込む、温かい冬である。

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◆木育マイスター/ようてい木育倶楽部 齊藤 香里

お話の木(その2)木の葉のたより -  2020.11.16 Mon

札幌の街に初雪が舞った。めっきり寒くなって木々は木の葉を落とし、足元には大量の落ち葉が積もった。こうなると私的には要注意だ。地面の形状が分からないうえに濡れていると滑るので、転ぶ危険性が増す。まあ、そうでなくても年中転んでいるので余りかわらないか? お前、ほんとにヤバいよ。夫が意地悪く笑う。
とはいえ、落ち葉の上を歩くのは嫌いではない。まだ、落ち葉が赤や黄色に染まっている時にはふわふわ。(ちなみに「もみじ」の語源は「揉みいず」で、あの色を揉み染めできると考えていた為であろうと、ものの本に書いてあった)乾いて茶色になると踏み心地は、ガサガサ、パリパリとなり、何とも楽しい。

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踏み心地を堪能しているうちにふと、「木の葉のしらせ」という言葉が頭に浮かんだ。
どこで聞いたっけ? しらせ? たより? 
「葉書」が木の葉がもとになっているのはわかる。そういえば郵便局の木は「多羅葉の木」だそうだ。タラヨウ。モチノキ科の常緑樹。葉は肉厚で光沢があり、長楕円形で大きい。葉の裏を引っかくと黒い跡がくっきりと残り、字や絵がかける。古来、手紙やお経を書き付けたそうで、お寺にもゆかりの深い木だそうだ。南の地に旅した折、初めて実物に出会ったが、見せてもらったその葉には、なるほど、くっきりと文字が浮かび上がっていた。しかし、私が引っ掛かっていたのは、もっと昔の記憶、子供の頃のはずだ。葉ももっと身近で、ありふれた……。

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そうだ! 大好きなメアリー・ポピンズのお話の中で出会ったんだ。メアリー・ポピンズはディズニーの実写版映画で有名だが、トラヴァースの原作では、あんな垢抜けた美人ではない。いかにもイギリスの田舎女性らしい赤ら顔のギスギスした感じの、イケずな自惚れ屋だ。それでも彼女はとびきり魅力的で、世界中の子供たちの心をぎゅっとつかんではなさない。
『ハロウィーン』のお話の中で、メアリー・ポピンズに公園に連れて行かれた子供たちは、風に吹き飛ばされて手の中に飛び込んできた、文字の書かれたカエデの木の葉を受け取る。
「木の葉をおとり、しらせの手紙! 」
老婦人が子供のころをなつかしんで言った言葉が、重要なキーワードとなり、素敵なストーリーが展開していく。イギリスは気候や植生が北海道とどこか似通っている。親しみやすい光景は、子供だった私を容易にお話の世界に連れて行ってくれた。同じような落ち葉の季節、強風のなかでメアリー・ポピンズの姿をさがしたことが、幾度あったろう。

公園の落ち葉にまつわる、ささやかなファンタジーを私も一つだけ持っている。ある年の落ち葉の季節のことだ。散歩中、近所の公園を通りかかった時、道路工事をしていた作業服姿の若い工員が公園脇の溝にまたがるようにしゃがみ込んで、一枚のオオバボダイジュの木の葉を拾い上げるのを見た。彼はていねいにしわを伸ばし、手の中で広げると、木の葉をじっと、ずいぶん長いこと見つめていた。まるでその中になにかを読み取ってでもいるかのように。私は彼がふるさとからの手紙を受け取ったのかも知れないと想像してみた。そこにはどんな慕わしい言葉が綴られていただろうか。今でもはっきりと、丸めた背中と穏やかな横顔を思い出すことができる。

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もし、降り落ちる木の葉のすべてに文字が書かれているとしたら。活字中毒の私は夢想する。どんなにか楽しいに違いない。できればそれはお話がいい。一人ひとりの心にある楽しいお話。メアリー・ポピンズが言うように、だれもが自分だけの、おとぎの国をもっているのだから。 
『公園のメアリー・ポピンズ』PⅬトラヴァース



◆木育マイスター/ようてい木育倶楽部 齊藤 香里

お話の木(その1)トネリコの木 -  2020.10.14 Wed

先日、道庁前の庭で樹木を見て廻った時、新しい発見をした。
何度も訪れている場所のはずだったが、たいていいつも、へえ、こんな木あったっけ、と思う。今回はトネリコだった。正面広場からだいぶ離れているせいもあるかもしれない。いや、白状しよう。京極にある私たちの山に生えている木は何とか大体は分かるようになったが、それ以外の木となるとさっぱりなのだ。あの木もこの木も、なんじゃもんじゃの木、というわけ。
それで木について何か書こうというのだから、あきれたものである。

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ところで今回お知り合いになったトネリコの木である。
じつは小学校のころ、お話の中で出会っていた。翻訳ものの怪奇小説で、内容はおぼろげにしか覚えていないが、庭のトネリコの木から大量の虫がぞろぞろ這いだして来るというとても怖い話だった。子供の頃、虫が極端に嫌いだったのは、あれがトラウマになったのではないかという気がする。
トネリコにはそれ以後も本の中で会っている。北欧神話では、聖なるウルズの泉から生えたユグドラシル(世界樹)が世界を形作っていると云われるが、それがトネリコの木だという。そういえば、ハリーポッターにも、トネリコの杖が出てきたっけ。正しくはこれらはみんな、セイヨウトネリコという種類らしい。しかしどちらもキンモクセイ科というから、見た目は似ているに違いないと勝手に思う。

樹皮は暗灰色、葉は羽状複葉で対生。春には白いふんわりとした花を付け、実は翼果。和名のトネリコの由来は、『戸に塗る木』という説もある。木に付くイボタロウムシ(やっぱり虫か!)から採った蝋物質を、敷居に塗って滑りを良くしたんだとか。昔は、稲のはさがけにも使われていたそうだ。里には身近な木といえるだろう。

道庁の庭で、少し緊張してかの木を見上げる。かなり立派な大木に育っている。
今のところワラワラと虫が出てくる気配はない。世界をすっぽりと覆い尽くしてしまう心配もなさそうだ。
まあ、宜しく頼むよと、何だか訳の分からない言葉を心の中でかけて、トネリコの木に背を向けた。



◆木育マイスター/ようてい木育倶楽部 齊藤 香里

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