ダニ媒介「回帰熱」始末記(3)全3回 - 2019.01.17 Thu
■発症の始まりは倦怠感から
昨年の北海道の初夏は全く異常な天候で、ほぼ二月にわたって “お天道様” に見放された雨の多い肌寒い日々が続きました。6月10日の日曜日、ダニの咬傷を受けてからちょうど2週間後のこの日は、朝から青空が広がっていたのですが風は6月とは思えない冷たさです。この日は、朝から軽い倦怠感と何ともいえない不安感に襲われていました。発熱はないのですが、とにかくもやもやして不安でネガティブな思いが次々と沸き上がってきます。車で外出したのですが、通い慣れた道で信号の見間違いまで起こす始末。
明日の早朝、また120キロほど離れた平取町に戻らねばならない、やれやれ定年を過ぎても「月曜病」かと憂鬱な気持ちでその夜は早めに床に着いたのでした。
翌朝も風の冷たい晴天、5時半、しっかり着込んでバイクに跨がりました。実は定年を機にセカンドカーを手放したばかりで、この時、我が家には車は一台だけでした。この朝、空模様によっては車で帰るつもりだったのですが、結局、自宅に車を残してバイクで平取に戻ったことが後に大いに幸いしたのでした。
■激しい悪寒に襲われる
札幌から平取までの全行程の8割以上は高速や自動車専用道路を使用します。バイクで平取に戻った時には体は冷え切っていました。震えながら朝食をかけ込んで定時に出勤、体に貼り付けた懐炉もそのままに冬用の作業上着を着ながら仕事に就きました。昼過ぎ、事務所の郵便を出すため外に出ると厚い雲が空一面を覆って陰鬱な空模様です。悪寒が一段と強くなって、夕方、ついに年休を取って雨の中、歯をガチガチと鳴らしながら必死に徒歩で公宅に戻ります。激しい震えで鍵も一度で開けられないほどでした。布団を重ね重ねて上着を着たまま床の中に飛び込んで震えていたのですが、この場に及んでついにラインで女房にSOSを発信しました。
その後の記憶は定かではありませんが、屋根打つ激しい雨音の中でかすかに車の到着した気配は覚えています。解熱剤で熱が下がり湯気立つような寝床を離れてさっぱりとした布団の中でお粥を口にした時には本当に生きた心地がして鬼嫁が仏様にも感じました。それにしても、私が今朝車で平取に戻っていたら女房の到着はいつになっていたでしょう。本当に幸いでした。因みに女房到着時の体温は41.3度でした。
■札幌市立病院へ
発熱から二日後の6月13日、平取町立病院からの紹介状を携えて札幌市立病院感染症内科を訪れました。
予め電話連絡も受けていたのでしょう、担当の男性医師は直ちに診察を始めます。
まずは簡単な問診と触診の連続です。筋肉痛や神経麻痺の有無、眼球運動は正常か・・・明らかに「脳炎」を警戒していることが解ります。この後、採血、レントゲンとMRI検査を受けました。因みに血液の半分は原因特定のため「北海道立衛生研究所」に送られています。この後、診察室に戻ると再び問診と触診です。
問診では、ダニ咬傷以前の生活や体調の様子と変化から現在に至るまでの全般にわたって、どんな些細なことでもこと細かに聞かれました。そして医師はそれを丁寧にパソコンに打ち込んでいきます。
こうしているうちに、血液検査の報告が届きました。「脳炎」の可能性は極めて低いので、とりあえずボレリア菌に有効な抗生物質の点滴を受けることになったのです。点滴を受けながら今後の診察予定を決めて病院を後にする頃には、広い待合室から外来患者の姿はほとんど消えていました。
帰宅して間もなく、医師の指摘どおり再び意識が朦朧となるような高熱に襲われました。抗生剤とボレリア菌の激しいバトルなのでしょうが、解熱剤が効果的に効くので本当に助かりました。
■病名が特定される
札幌市立病院には三日間通院して点滴、そして抗生剤の服用は10日間に及びましたが、高熱は初日の夜のみで、後は高熱に見舞われることもなく平穏に過ごしました。
そしてちょうど薬の服用を終える頃ようやく衛生研から報告があり、ダニ媒介による「新興回帰熱(ボレリア ミヤモトイ)」と診断されたのでした。今後の研究用にとの要請を受けて、最後にもう一度血を提供して病院を後にしたのは、咬傷からほぼ一月近く経た6月の下旬、こうして私の「回帰熱騒動」は一件落着したのでした。
■追記
「回帰熱騒動」が終息する直後から二ヶ月間ほど、平熱が以前より明らかに0.4~0.5度ほど高い状態が続き、高めだった血糖値が低下するなど(全く予想外で)明らかに嬉しい変化が生じたのですが、ほどなくすっかり元に戻っていました。
そして11月上旬、恒例行事?のようにウルシかぶれに見舞われます。この4年間で3度の被害・・・今回は葉ではなく大木に巻き付いていた太いツルを切断する際に汁が手首に触れたようです。まさかツルでやられるとは想像もしていませんでした。幾日も続く痒みは回帰熱が懐かしくなるほど辛いものでしたが、今回は、毎年のように“ウルシに愛される”自分がつくづく情けなくなって精神的にもすっかり落ち込んでしまいました。

ツタウルシの葉「三出複葉」と呼ばれる3枚葉が特徴

昨年11月のウルシ被害
定年を迎えて休む間もなく再任用、下がる一方のモチベーションに合わせるかのような回帰熱感染とウルシかぶれ、そして頸椎の椎間板ヘルニアからくる手の痺れ・・・・体も心も疲れた平成30年はこうして過ぎ去って行きました。厄はしっかり落ちたでしょうか?
新しい年、本年が私にとっても皆様にとっても良い年になりますことを心から祈っています!
◆日高振興局森林室平取事務所 種市 利彦
訂正:前回の連載(2)において、「ボレリア ミヤモトイ」発見の年を、1955年と間違ってお伝えしましたが、正しくは1995年です。お詫びして訂正します。
昨年の北海道の初夏は全く異常な天候で、ほぼ二月にわたって “お天道様” に見放された雨の多い肌寒い日々が続きました。6月10日の日曜日、ダニの咬傷を受けてからちょうど2週間後のこの日は、朝から青空が広がっていたのですが風は6月とは思えない冷たさです。この日は、朝から軽い倦怠感と何ともいえない不安感に襲われていました。発熱はないのですが、とにかくもやもやして不安でネガティブな思いが次々と沸き上がってきます。車で外出したのですが、通い慣れた道で信号の見間違いまで起こす始末。
明日の早朝、また120キロほど離れた平取町に戻らねばならない、やれやれ定年を過ぎても「月曜病」かと憂鬱な気持ちでその夜は早めに床に着いたのでした。
翌朝も風の冷たい晴天、5時半、しっかり着込んでバイクに跨がりました。実は定年を機にセカンドカーを手放したばかりで、この時、我が家には車は一台だけでした。この朝、空模様によっては車で帰るつもりだったのですが、結局、自宅に車を残してバイクで平取に戻ったことが後に大いに幸いしたのでした。
■激しい悪寒に襲われる
札幌から平取までの全行程の8割以上は高速や自動車専用道路を使用します。バイクで平取に戻った時には体は冷え切っていました。震えながら朝食をかけ込んで定時に出勤、体に貼り付けた懐炉もそのままに冬用の作業上着を着ながら仕事に就きました。昼過ぎ、事務所の郵便を出すため外に出ると厚い雲が空一面を覆って陰鬱な空模様です。悪寒が一段と強くなって、夕方、ついに年休を取って雨の中、歯をガチガチと鳴らしながら必死に徒歩で公宅に戻ります。激しい震えで鍵も一度で開けられないほどでした。布団を重ね重ねて上着を着たまま床の中に飛び込んで震えていたのですが、この場に及んでついにラインで女房にSOSを発信しました。
その後の記憶は定かではありませんが、屋根打つ激しい雨音の中でかすかに車の到着した気配は覚えています。解熱剤で熱が下がり湯気立つような寝床を離れてさっぱりとした布団の中でお粥を口にした時には本当に生きた心地がして鬼嫁が仏様にも感じました。それにしても、私が今朝車で平取に戻っていたら女房の到着はいつになっていたでしょう。本当に幸いでした。因みに女房到着時の体温は41.3度でした。
■札幌市立病院へ
発熱から二日後の6月13日、平取町立病院からの紹介状を携えて札幌市立病院感染症内科を訪れました。
予め電話連絡も受けていたのでしょう、担当の男性医師は直ちに診察を始めます。
まずは簡単な問診と触診の連続です。筋肉痛や神経麻痺の有無、眼球運動は正常か・・・明らかに「脳炎」を警戒していることが解ります。この後、採血、レントゲンとMRI検査を受けました。因みに血液の半分は原因特定のため「北海道立衛生研究所」に送られています。この後、診察室に戻ると再び問診と触診です。
問診では、ダニ咬傷以前の生活や体調の様子と変化から現在に至るまでの全般にわたって、どんな些細なことでもこと細かに聞かれました。そして医師はそれを丁寧にパソコンに打ち込んでいきます。
こうしているうちに、血液検査の報告が届きました。「脳炎」の可能性は極めて低いので、とりあえずボレリア菌に有効な抗生物質の点滴を受けることになったのです。点滴を受けながら今後の診察予定を決めて病院を後にする頃には、広い待合室から外来患者の姿はほとんど消えていました。
帰宅して間もなく、医師の指摘どおり再び意識が朦朧となるような高熱に襲われました。抗生剤とボレリア菌の激しいバトルなのでしょうが、解熱剤が効果的に効くので本当に助かりました。
■病名が特定される
札幌市立病院には三日間通院して点滴、そして抗生剤の服用は10日間に及びましたが、高熱は初日の夜のみで、後は高熱に見舞われることもなく平穏に過ごしました。
そしてちょうど薬の服用を終える頃ようやく衛生研から報告があり、ダニ媒介による「新興回帰熱(ボレリア ミヤモトイ)」と診断されたのでした。今後の研究用にとの要請を受けて、最後にもう一度血を提供して病院を後にしたのは、咬傷からほぼ一月近く経た6月の下旬、こうして私の「回帰熱騒動」は一件落着したのでした。
■追記
「回帰熱騒動」が終息する直後から二ヶ月間ほど、平熱が以前より明らかに0.4~0.5度ほど高い状態が続き、高めだった血糖値が低下するなど(全く予想外で)明らかに嬉しい変化が生じたのですが、ほどなくすっかり元に戻っていました。
そして11月上旬、恒例行事?のようにウルシかぶれに見舞われます。この4年間で3度の被害・・・今回は葉ではなく大木に巻き付いていた太いツルを切断する際に汁が手首に触れたようです。まさかツルでやられるとは想像もしていませんでした。幾日も続く痒みは回帰熱が懐かしくなるほど辛いものでしたが、今回は、毎年のように“ウルシに愛される”自分がつくづく情けなくなって精神的にもすっかり落ち込んでしまいました。

ツタウルシの葉「三出複葉」と呼ばれる3枚葉が特徴

昨年11月のウルシ被害
定年を迎えて休む間もなく再任用、下がる一方のモチベーションに合わせるかのような回帰熱感染とウルシかぶれ、そして頸椎の椎間板ヘルニアからくる手の痺れ・・・・体も心も疲れた平成30年はこうして過ぎ去って行きました。厄はしっかり落ちたでしょうか?
新しい年、本年が私にとっても皆様にとっても良い年になりますことを心から祈っています!
◆日高振興局森林室平取事務所 種市 利彦
訂正:前回の連載(2)において、「ボレリア ミヤモトイ」発見の年を、1955年と間違ってお伝えしましたが、正しくは1995年です。お詫びして訂正します。
しらかんばの「点」 - 2019.01.17 Thu
「しらかんばずかん」1月号

しらかんばの木材には、茶色い点や線の特徴的な模様があります。
これらは、かつて虫がとおった通り道。輪切りにすると点、縦に切ると線となって現れます。
しらかんばの木材は、身近なところではアイスクリームの棒や和菓子の楊枝、ヘラなどの材料として使われています。これらの製品でも、時々、茶色い模様が見られることがありますが、検品ではじかれるのか出会える確率はアイスの当たり棒よりもずっと低そうです。
もし見つけたら、それはそれでしらかんばが樹木として生きてきた証です。
(単なる模様ですので衛生的には問題ありませんよ)
当たり棒だと思って喜びましょう。
◆帯広の森はぐくーむ/木育マイスター 日月 伸

しらかんばの木材には、茶色い点や線の特徴的な模様があります。
これらは、かつて虫がとおった通り道。輪切りにすると点、縦に切ると線となって現れます。
しらかんばの木材は、身近なところではアイスクリームの棒や和菓子の楊枝、ヘラなどの材料として使われています。これらの製品でも、時々、茶色い模様が見られることがありますが、検品ではじかれるのか出会える確率はアイスの当たり棒よりもずっと低そうです。
もし見つけたら、それはそれでしらかんばが樹木として生きてきた証です。
(単なる模様ですので衛生的には問題ありませんよ)
当たり棒だと思って喜びましょう。
◆帯広の森はぐくーむ/木育マイスター 日月 伸