topimage

木育の種、咲かせた花〜第9回 コミもりという言葉 -  2023.12.18 Mon

第58回全国育樹祭の開催跡地「苫東・和みの森」の管理のお手伝いをすることになったのは、もう10数年前です。

20231201.jpg

その経緯もいろいろありまして、今でも思い出すと背中が少しゾワゾワします。とにかく、森づくりとか林業とか、全く知識も経験もないぼくたちに、当時北海道の中で最も注目された「植樹祭跡地」の管理を任せる、という話です。その検討会議に出ても、周りは長年林業やってきました、とか、ずっと森づくりボランティアやってきました、というキャリア十分の大先輩たちの「お前、ホントにできんのかよ」的な、実に懐疑的な視線と雰囲気が充満していて、とても辛い精神状態でした。

20231202.jpg

あまりにも辛くて、思考停止状態がしばらく続いていたのですが、そんな鬱々とした極限状態に身を任せていると、不思議なもので、自分の身体の奥底からぼんやりと、それを突破するようなイメージが湧いて出てくるような気がしました。

そもそも、みんな「森づくり」って言うけど、人間が森なんて作れるのか?そんな、奇跡の塊のような森を人間が作る、だなんて無理でしょ?それを作るだなんて、むしろ人間の傲慢というか、かなりの上から目線なんじゃないか?

そうやって、森の課題解決のために何ができるか、をストイックに考えていくのではなくて、森ではない他の課題を解決するための「場」「方法」として森を使わせてもらう、と目的と手段を入れ替えて考えてみると、少し霧が晴れていくような気持ちになりました。

世の中、とにかく人と人のつながりが薄くなっちゃって、それがいろんな問題を引き起こしている、で、それを解決すべく、つながりをもう一度復元させるとか、維持する機能として、まちなかに「コミュニティセンター」とか「公民館」とかあって、実直に機能を果たしているのだろうけど、結局囲碁教室とか、フォークダンス教室にとどまっているのは勿体無いよね、そこにもう少し生産性というか、分かりやすい成果をもたらすような機会があったらいいのではないか?と分析した上で、仮に、その場と機会が、まちなかではなくて、森の中にあったらどうだ?と考えてみると、そうか、それだったら、うん、ぼくでもできるような気がする・・・。

20231203.jpg

つまり、それは里山ですね。
里山って、生産性とコミュニティ維持機能の両方を併せ持つシステムなんだ、と改めて理解できた瞬間、苫東・和みの森は「里山」としての利用でいいんじゃないか?と思ったわけです。しかし、知ったかぶりしてこんなこと言うと、「上田さん、ところで里山の定義はご存知ですか?」「北海道には里山的概念はないことを知ってますか?」などまた針のムシロに座らせられることは目に見えてます。ぼくたちそう言うことをずっと勉強してきたわけじゃないから、そんなこと言われたって、無理ですよ・・・。じゃあアンタやれ、って言ってもやらないでしょ?自分がやらないくせに、人がやろうとしてることに文句言うのはやめてくれよ。

てな話になるのは目に見えています。なので、里山という言葉を使うことはやめました。代わりに、「まちなかもいいけど、森の中に、コミセンとかあったらステキじゃないですか?苫東・和みの森は、そんな森のコミュニティーセンターになったらいいな、と思っています」と言い換えることで、ここだけの話、ケムに巻くというか、議論を回避するような作戦をたてたわけです。で、ここまでの思考やコンセプトをグッと一言で表せるなんかいい言い回しはないかな、ということで、森セン・・うーむイマイチ、森コミ・・・なんか違う、コミ森・・・?おお、コミもり・・・!!という言葉を作りました。

20231204.jpg

つまり、コミもりとは、「現代社会に必要な北海道的里山の再構築」であり、実はかつてより北海道に住む人々が代々受け継ぎ維持してきた、世界に誇れる素晴らしいシステムを、それらしくちょっと今風に言い換えてみただけですね。でも、人々は世知辛い現代社会を生き抜くために、目の前にあるいろんな事情や都合を優先するあまり、北海道にそもそもあるその素晴らしさをどこかに置いてきてしまっている、としたら、「いやいや、他の国まで取りに行かなくても、すぐそこにありますよ、忘れてただけですよ」ともう一度気づき、思い出しやすくするものとして、「コミもり」という言葉がある、ということでしょうか。

20231205.jpg

で、今、このコミもりという言葉が「木育」とか「森のようちえん」という言葉のように世間に広がっているのか?というと、実はそうではないです。作ったぼくたちですら、この言葉を口にする機会はそれほど多くありません。確かに、木育とか森のようちえんほどキャッチーではないというか、ダサいというか、イマイチかっこよくないとか、そういう側面もあると思います。でも、だからと言って、コミもりという言葉をもう一度広げようとか、プロモーションしようとはあまり思いません。コミもりというのは、概念であり、コンセプトであるので、木育とか、森のようちえんとか、森林活用とか、世間の皆さんがイメージしやすい言葉や手法の根底に根付いていると思うので、今更もう一度拡散しなくても良いかな、と考えています。仮にもし、北海道のどこかで、「うちの森、どうしよう・・」とかつてのぼくみたいに、思考停止状態になっている人がいたら、その解決のヒントとしてその人に届けば嬉しいし、コミもりではない新たな表現が生まれてくれたらいいな、というぐらいに考えています。



◆NPO法人いぶり自然学校 上田 融

木育の種、咲かせた花〜第10回 森の輪 mori no wakko «  | BLOG TOP |  » 道民森づくりの集い2023報告

最新記事

カテゴリー

NEWS (14)
木育ファミリーの活動 (22)
木育の種、咲かせた花 (14)
あれも木育、これも木育 (11)
木育リレーエッセイ (21)
連載 (36)
広報活動 (1)
会員数と賛助会員紹介 (1)
お問い合わせ (1)
未分類 (0)

リンク