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上遠恵子さんとの出会い -  2020.07.14 Tue

KEMさんの木育生活07

今年の春は新型コロナの影響で、家で過ごす時間が多くありました。ゆっくり身近な自然に目を向けると、いつもの春よりも多くの動植物の変化に気がつきます。鳥は思いのほかピイピイ、チッチと騒がしく、反対に人間はひっそりと、まるでレイチェル・カーソンの『沈黙の春』の逆世界が訪れたようでした。

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レイチェル・カーソンは、1907年5月ペンシルヴェニア州生まれ。ペンシルヴェニア女子大学、ジョンズ・ホプキンズ大学に学んだ後、合衆国漁業局(現在の魚類野生生物局)に入り、1962年『沈黙の春』を出版。
世界で初めて農薬の残留性や生物濃縮がもたらす生態系への影響を公にし、社会的に大きな影響を与えました。
「沈黙の春」完成後、ほどなくして56年間の生涯を閉じたレイチェル・カーソンの晩年の遺稿をまとめた『センス・オブ・ワンダー』は私にとって、人生の書とも言えるもの。幼少期に人が自然と関わることで育まれる感性=センス・オブ・ワンダーの持つ大きな意味、そして大人と子どもがともに自然を感じるかけがえのないひとときの豊かさを記した名著です。

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北海道で木育が報告書としてまとまり、普及の初舞台として2005年3月に開催されたのが「北海道木育フォーラム」でした。基調講演を誰にお願いしようかと検討していた時に「煙山さん、誰のお話が聞きたいですか?」と声をかけてくれたのが木育プロジェクトのサブリーダー濱田智子さん(現 森林環境局長)でした。「センス・オブ・ワンダー翻訳者の上遠恵子さんなら素敵だけれど・・・」と半信半疑に答えたのが実現したのです。木育を通じて、憧れの女性と会えることになりました!
上遠恵子さんは1929年、東京生まれ。東京薬科大学卒で東大農学部研究室に勤務されながらカーソン研究をライフワークとして、『海辺』『センス・オブ・ワンダー』『潮風の下で』などを翻訳。エッセイスト、レイチェル・カーソン日本協会を設立し会長を務めておられます。
では、木育フォーラム当日の基調講演とセンス・オブ・ワンダーの一部を紹介します。

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北海道木育フォーラム会場風景

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上遠恵子さん


上遠恵子さん講演録 「自然が育む豊かな感性~自分のセンス・オブ・ワンダーを見つけよう~」より抜粋
― 原本は非常に写真の多いきれいな本なのですけれども、日本の訳としては小さなかたちの「センス・オブ・ワンダー」という本になって出ております。
これは「沈黙の春」が非常に鋭く切り込んでいることに対して、「センス・オブ・ワンダー」は自然の中での自然体験、しかも小さい子どもたちが自然体験をすることによって育まれていく子どもが本来もっているセンス・オブ・ワンダーを本当に穏やかに書き記しています。(中略)
いみじくも私はこのごろ思うのですけれども、「センス・オブ・ワンダー」の本を訳したのは1991年でした。やっと本が本屋に並んで、どのぐらい売れているかなと思って紀伊國屋に行きました。若い女性の店員さんに「センス・オブ・ワンダーという本はありますか」と聞きましたらば、店員さんに「戦争ってなんだという本ですか」と言われて。「センス・オブ・ワンダー」と「戦争ってなんだ」は似ていますよね。それで『センス・オブ・ワンダー』という本で「戦争ってなんだ」という本ではないのです」と言いました。それはまさに笑い話みたいなのですけれども。
私は戦争体験者です。1929年生まれですから、第2次世界大戦のときはティーンエイジでした。ですから戦争をよく知っています。本当に戦争というのは一番の環境破壊だなということをしみじみ思います。
戦争を知っている人間はどんどん少なくなっているので、私は必ずこういう機会をいた だいたときには「戦争はやめようね。平和でなければ駄目だよ」ということを言うことに決めました。それで申し上げているわけです。 戦争というのは物理的な環境の破壊ばかりではなくて心も荒廃させてしまいます。それはいろいろな事実でおわかりだと思います。そういうことは、私たちの次の世代に経験させてはいけないことであると思っております。
センス・オブ・ワンダーをもつということは、決して「きれいね、素敵ね、美しいわね」というやわなものではない。もっと厳しいものである。自然の中には怖いこともあるし痛いこともある、かゆいこともある、いろいろ厳しいことがあるという現実。死というものを見つめなければならないときもある。そういうものに対してもしっかりと受け止められる。それでつぶれてしまわないような感性も、私はセンス・オブ・ワンダーだと思うのです。―

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レイチェル・カーソン著(上遠恵子訳)「センス・オブ・ワンダー」より抜粋
― 「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと信じています。
子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。
美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。
消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなにたいせつであるかわかりません。―

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木育のルーツをたどれば、「木とふれあい、木に学び、木と生きる」のコンセプトにつながる、豊かな感性や知への好奇心、自然や社会へのつながりと世界は広く大きくなっていきます。
ずっとこれから先も、春になっても鳥の鳴き声が聞こえない「沈黙の春」が訪れないことを願っています。


◆KEM工房/木育ファミリー顧問 煙山 泰子

北海道「木育」フォーラム2005年3月19日開催記録はこちら

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